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東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)21号 判決 1969年8月21日

原告 小宮山倭

被告 東京都

右代表者知事 美濃部亮吉

右指定代理人東京都事務吏員 岡本正

<ほか一名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

一、原告の申立

1  被告は原告に対し、金五、一六一、四六四円およびこれに対する昭和四〇年四月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告の申立

主文同旨。

第二当事者双方の主張

一、原告の主張

(一)  請求の原因

1 原告は昭和二七年四月二二日付で被告公立学校長に任命され、昭和四〇年二月三一日付で勧しょう退職をした。

2 ところで、原告は、昭和二年三月三一日付で長野県立中学校教諭に任ぜられ、同教諭として在職していたが、昭和八年五月一日付で東京市立高等女学校教諭に転じ、以後東京府職員として高等女学校教諭の職にあった。東京府が東京都に変り、昭和一八年一二月一七日付で東京都視学官に任命され、昭和二二年五月三日地方自治法の改正により東京都主事兼視学に任命替えとなった。

3 しかるところ、昭和二二年六月二〇日付で「教職員の除去、就職禁止等に関する政令」(昭和二二年政令第六二号、以下政令六二号という)に基づいて同令第三条第一項の教職不適格者と指定された。それにより、同年八月一二日付で視学を免ぜられることとなったが、主事の地位があったため、翌一三日付で江戸川区役所勤務、松江民生館長を命ぜられたものの、同年一二月二〇日付で依願退職(以下館長退職という)した。その後、昭和二六年九月二五日付で教職不適格者としての指定が解除されたので、前記公立学校長に任命されることとなったものである。

4 被告制定の「職員の退職手当に関する条例施行規則」(昭和三一年規則第一一六号)付則(以下付則という)第五条第一項本文の適用により、「職員の退職手当に関する条例」(昭和三一年条例第六五号)による原告の退職手当算出の基準となる勤続期間には、館長退職の日までの東京府、東京都職員としての在職期間および長野県職員としての在職期間(付則第三条)と公立学校長任命以後の在職期間が通算されることとなり、原告に支給されるべき退職手当の額は金八、三九七、六二〇円となる。その算定の明細は別紙退職手当算定明細のとおりである。

5 原告の退職手当算出について付則第五条第一項本文が適用されるべきことの理由は次のとおりである。

(1) 付則第五条第一項本文は「先に職員として在職した者であって、旧公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令(昭和二十一年勅令第百九号)第一条若しくは……の規定により退職させられたものまたはこれに準ずる措置で昭和三十二年六月一日大蔵省令第四十二号で定めるものによりその意思によらないで退職させられたものが、その退職の後、法令の規定または特別の手続によりこれらの措置が解除された日(これらの措置により就職が制限されなかった職員となった場合にあっては、当該退職の日)以後に再び職員となった場合においては、先に職員としての在職期間は、その者の後の職員としての在職期間に引続いたものとみなす。……」と規定する。

(2) 右規定の括弧書は右規定にいう諸措置いわゆる追放と同時に退職した者のほか、追放に引続き制限されなかった職に勤務し退職した者をも含め、その者が再就職した場合、その前後の在職期間を通算する趣旨と解される。原告についてみると、右規定にいう大蔵省令で定めるものに該当する政令六二号第三条によっては就職を制限されなかった民生館長の職に追放になった教職から引続いたのであるから、館長退職が括弧書の「当該退職」に該当することになるのである。

(3) 仮に右解釈が成立しないとしても、原告は右大蔵省令で定めるものにより「その意思によらないで退職させられたもの」に該当する。「その意思によらないで退職させられた」とは、免職等全く自己の意思によらない退職のみを意味するものではなく、たとえ自己の意思による退職であっても、それが追放指定と相当因果関係がある場合には、これをも含める趣旨に解すべきである。けだし、付則第五条第一項の趣旨は、当時の占領政策による公職または教職追放という不条理な措置による犠牲者を救済するためにあることが明瞭であり、できる限り救済するのがその趣旨に合致するからである。現に、行政解釈においても、追放仮指定前に辞職した者についても、追放による退職とみなして、それ以前勤務した期間をも、再就職後の期間と通算して退職手当を支給することを是認している(昭和四〇年二月一五日付自治給第九七号静岡県総務部長宛自治省給与課長回答)。

原告の館長退職は形式上依願によるものであるが、実質上前記教職不適格指定によるものである。原告は学業終了後教育の仕事で生涯を貫くべく決意して教育界に入り、長年教職にあった後、視学官に就任したが、視学官は教育専門職であり、一般行政職ではない。このように教育を天職として専念してきた原告にとって教職追放ということは全く脳天を打ちのめされたような衝撃であった。原告は、公職にあって教育の仕事ができないのであれば、民間において素志を貫く決意をし、同志と語らって教育研究所を組織して活動することとし、これに従事したものであり、一般行政職にあって都に勤務する意志は毛頭なかった。ただ、地方自治法の改正により主事の地位を有することとなったため民生館長に任命されたが、原告にとってこれは全くの意想外の措置であり、直ちに辞表を提出し、館長として勤務したことはない。教育に関する本務を追われ、解除など夢想だにできなかった絶望的な事態の中で退職せざるをえなかったという事情は、館長退職が追放と相当因果関係にあることを示すものである。

6 原告は被告から昭和四〇年四月二八日付で退職手当として金三、二三六、一五六円の支給決定を受け、これを受領したのみであるから、残額金五、一六一、四六四円およびこれに対する右決定の翌日である同月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、原告主張の請求原因第1ないし3項は当事者間に争いがない。

そこで、原告の退職手当算出について付則第五条第一項本文が適用されるべきかどうかを検討するに、同条はいわゆる公職追放者等が復職した場合において、追放前と復職後との在職期間の通算を認めるものである。ところで、同条は通算の対象を二つの場合に分けて採り上げているすなわち、第一は、「旧公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令」(昭和二一年勅令第一〇九号)第一条もしくは「旧公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令」(昭和二二年勅令第一号)第三条の規定により「退職させられたもの」(以下公職追放者という)が復職した場合であり、他は、右二勅令に準ずる措置で昭和三二年大蔵省令第四二号で定めるものにより「その者の意思によらないで退職させられたもの」(以下教職追放者等という)が復職した場合である。右省令は右二勅令に準ずる措置として次のものを掲げる。その一は、昭和二〇年一〇月四日付連合国最高司令官覚書「政治的、公民的及び宗教的自由の制限の撤廃に関する件」に基づく罷免であり、その二は、「旧教職員の除去、就職禁止及復職等に関する勅令」(昭和二一年勅令第二六三号)第一条または「教職員の除去、就職禁止等に関する政令」(昭和二二年政令第六二号)第三条の規定による指定である。これらの措置により退職させられた者(公職追放者と教職追放者等との間に差異のある点については後述)が、これらの措置が解除された日以後に再び職員となった場合において退職前の在職期間と復職後の在職期間が通算されて、「職員の退職手当に関する条例」(昭和三一年東京都条例第六五号)第六条所定の勤続期間とされるのである。

原告主張の括弧書は、復職が一般的には退職後前記諸措置が解除された日以後であるべきであるが、退職後その日をまたないで前記諸措置により就職が制限されなかった職員として復職した特別の場合をも、通算の対象とするため、復職のあるべき始期を右退職の日と定めたものであることは付則第五条の趣旨および文理上からして明白というべきであり、「当該退職の日」を右就職が制限されなかった職を退いた日と読む原告の見解は採用に値しない。

次に、教職追放者等にあっては、公職追放者と異なり、前記諸措置によりその意思によらないで退職させられたものであることが要件とされている。これは前記勅令一〇九号第一条もしくは勅令一号第三条により覚書該当者として指定された公職追放者は右各条によりすべての公職に就くことを禁止され、退職させられるのに比し、前記昭和二〇年一〇月四日付覚書該当者または勅令二六三号第一条もしくは政令六二号第三条により教職不適格者として指定された教職追放者等にあってはすべての公職ではなく、特定の官職または教職に就くことを禁止されるに止まり、必ずしも退職させられるとは限らない、すなわち、前者にあっては指定即退職を意味し、その者の退職の意思を問題とする必要がないが、後者にあってはそうとはならないところから、その者の意思による退職を前記諸措置による退職として扱うことから除外する趣旨であると解される。

原告は、この点につき教職追放の場合にあっても、前記措置と相当因果関係がある場合は、その者の意思によるいわゆる依願退職であるかどうかは問わない趣旨である旨、言い換えれば、退職の意思が前記措置に起因する限り、その者の意思による退職とはいえない旨論ずる。しかし、明文に反し、そのように解すべき根拠はない。

公職または教職追放が不条理な措置であり、付則第五条第一項の規定がそれによる犠牲者を救済することを目的とするものであるといえるにしても、その救済の範囲条件は一に立法政策にかかることであり、同条が無制限に右救済を図るものでないことは同条第一項に但書を設けて前記通算が不適用となる場合を定めていることからも容易に理解されるところである。

原告が援用する自治省給与課長回答は、≪証拠省略≫によれば、静岡県退職手当条例案に関するものであることが認められるが、その内容は不明であり(ちなみに、国家公務員等退職手当法施行令附則第六項は前記諸措置の適用をまたず、事前に退職させられていた前記諸措置適用者にも同項で定める在職期間通算の措置の適用がある旨を定めている)、また公職追放の場合のことであることが認められるのであって、本件とは事案を異にするといわなければならず、参考とするに当らない。

原告が政令六二号により教職不適格者の指定を受け、昭和二二年八月一三日視学を免ぜられたことは前示のように当事者間に争いないが、当時の法制によれば、都道府県には官吏として、事務吏員、技術吏員、教育吏員等が置かれ、事務吏員は事務を所掌とし(地方自治法第一七三条第一項、第二項)、地方自治法施行の際現に地方事務官であった者は事務吏員に任用されたものとされ(同法付則第六条、同法施行規程第二〇条)、また、職員として主事、視学等が置かれ、主事、視学は事務吏員をもってこれに充てることとなっており(同法施行規程第一八条第一項、第二項)、≪証拠省略≫ならびに前示当事者間に争いのない事実を併せ考えれば、原告は昭和二二年五月三日地方自治法の施行(原告主張および右書証中改正とあるのは誤り)に伴い、二級地方事務官から二級事務吏員に任用されたこととなり、同時に主事兼視学に補されたものであることが認められ、視学が教職不適格指定により免ぜられても、事務吏員(主事)の官職には少しも変動を及ぼすものではなく、その身分に基づいて前示江戸川区役所勤務、松江民生館長を命ぜられたのであって、主事の補職は教職不適格指定とはなんの関係もなく、当事者間に争いがないように、原告は依願により退職(≪証拠省略≫により明らかなように、より厳密には依願免官(事務吏員))したものであるから、付則第五条第一項本文の適用はないといわなければならない。

二、被告が昭和四〇年四月二八日付で原告の退職手当として金三、二三六、一五六円の支給決定をなしたことは当事者間に争いがないが、原告の退職手当は、付則第五条第一項本文の適用がない以上、昭和二七年四月二二日公立学校長に任命されてからの在職期間である一三年を基礎として算定すべきところ、右金員がそのようにして算定されたもの(なお、当事者間に争いのない原告の最終給料月額金一〇二、四一〇円を基礎に算定すれば、その内訳は条例第六五号第六条による退職手当金二、二一二、〇五六円、同条例第九条の二、同条例施行規則第六条による役付加算金一、〇二四、一〇〇円であること明らかである)であることは原告において明らかに争わないから自白したものとみなされ、これを受領したことは原告において自陳するところであるから、被告の原告に対する退職手当およびこれに対する遅延損害金支払義務はないというべきである。

三、よって、原告の請求は理由がないので失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 豊島利夫)

<以下省略>

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